売れるカウンセラーになるまでの軌跡

2002年(平成14年)

2002年のお正月、
私は何をしていたのでしょう。この頃の記憶はほとんどありません。
そうそう、この頃、私は、サプリメントを飲み始めていました。
そして、その効き目に大変驚いていました。
気持ち、今までの倍、働いても疲れを感じなくなり始めていました。

 

2月、私に、忘れもしない大きな出来事が4つ生じました。
ひとつめ、
この頃の私は、休みなく働いていました。
とは言っても、1人もクライエントが来ない日というのが週に1回ぐらい発生しており、前日に「あっ、明日は、予約が1つも入ってないぞ」となると、その日はお休みにしていたのです。
休みの日は、平日であることが多く、私はほとんどパチンコしていました。家内は、パートに行っており、子どもたちも学校に行っており、仕事のない私は、パチンコでお金を稼いでいたのです。 (ええ、私はパチンコ、上手ですよ。負けないです。いやいや、そんなことが言いたいのではありません。)
私の自然発生的に生じていたお休みは、2002年の2月に終わりました。どういうことかと言うと、この日を最後に、クライエントが来ない日は、全くなくなってしまったのです。

 

私は、週に7日間、朝9時から夜9時まで仕事するようになりました。

 

どうしてそんなに忙しくなってきたのか?
そのノウハウについては、「カウンセラーの経営ノウハウについて」に詳しく書きました。現在は、カウンセリングの予約を断って断って、不定期に、月に3回ほど、お休みを頂いております。
休むのも勇気がいりますね。(^_^;
私は、「また食えなくなったらどうしよう?」という心配で、その後、2月から8月まで、ほとんど休みを取りませんでした。

 

ふたつめの出来事
「とよたボランティアくらぶ」という団体から、定期的な講演会を依頼されました。この講演会を通して、私の知名度および収入は、飛躍的に伸びました。その団体は、全くの無料奉仕で、私の講演会のお手伝いをして下さっています。 (現在は、「竹の子会」という名前になっております。)
会場の予約から設営・参加の受付け、当日の会場整理まで、全部全部、無料で働いて下さるのです。本当に本当にありがたいものです。

 

みっつめの出来事
テレビに、心理カウンセラーとして登場しました。
撮影4時間、放映5分…と、何とも情けない限りですが、まあいい記念です。

 

よっつめの出来事
私は、特定の宗教団体には属していないのですが、「聖教新聞にコラムを持って頂けませんか?」とお願いされました。このことによって、私はますます著名人となっていきました。(後にその本は、「ほのぼの育児」という名前で自費で出版します。

 

どうして、こんなにたくさんの福がやってきたのでしょう。
自分でも不思議です。

 

・真面目にカウンセリングをこなしていたこと。
・講演会も気合を入れてやっていたこと。
・ホームページ運営に力を注いでいたこと。
・時間があれば、正しい営業活動をしていたこと。
     これらの努力が、時を得て熟成したということでしょうか。

 

カウンセラーとして、私は徐々に成功していきました。
仕事も順調に増えていきましし、収入もそれに伴って増えていきました。

 

さて、カウンセリングと共に頑張ってきたサイドビジネスですが、
2002年4月に、自分の中で「これは、本当に儲かる!」という宣言をしました。それで、今までお世話になっていた友人に、このビジネス勧めることにしました。
万が一、その友人が損したら、お金や労力を含めて、全部自分が損失をかぶろうと思っていました。(そう、それくらい私には自信があったのです。彼なら、このビジネス、失敗することはないと…。)

 

そして、このようなページも作りました。これは、クライエントに向けて作ったページです。私は、このビジネスによって、いろんな方に恩返ししていきたいと思いました。(事実、することが出来ました)

 

さて、4月5月6月と、無我夢中で働きました。
カウンセリングとインターネットビジネスです。
私に勧められて始めた友人も、インターネットビジネスで順調に儲かり始めました。(当たり前のことですが、誰もが儲かるわけではありません。やはり、努力しない人、依存心の強い人、常識をわきまえない人、素直でない人、礼儀をわきまえない人は、儲からないと思います。まあ、これは、ネットビジネスに関わらず、何処の世界でも一緒ですね。)

 

6月、ある有名なカウンセラー(臨床心理士)の方の勉強会に参加しました。正直言って、レベルの低さにガッカリしました。生意気言って、申し訳ないです。その方は、学歴は、確かに凄いのですが、私から言わせれば、「だからあなたのカウンセリングルームは、さっぱり繁盛していないのですよ」ということです。

 

そして、7月に入り、私は困り始めました。
何に困り始めたかというと、仕事が忙しくて、身動きが取れなくなり始めていたのです。本当に忙しくなってしまいました。
貧乏時代が長かった私には、仕事を断る勇気がありませんでした。それで、フラフラになって仕事していました。カウンセリング中、気を失いそうになったことも何度もありました。
この頃、サプリメントがなかったら、私はとっくに倒れていたと思います。
1日12時間以上、週に1日も休むこともなく、神経を集中させて働いていました。

 

仕事が忙しくなり、私はいつも、溜息をつきながら仕事していました。
カミさんに「仕事休んだら」と何度言われても、私は、聞きませんでした。私は、貧乏に逆戻りするのが怖かったのです。

 

カミさんは、私と1番仲のいい友人に相談しました。
友人は、心配して私の家を尋ねて来ました。
「竹内、そんなに仕事したら体に良くない。少しは休んだらどうだ。」
「今、仕事を断ったら、仕事が来なくなる。そうなったら、また貧乏時代に逆戻りだ」
「そんなこと言って、倒れでもしたらどうするんだ? 元も子もないじゃないか」
「 …… 」

 

最終的に、私が、その友人のアドバイスを聞き入れることが出来たのは、サイドビジネスで儲かっていたからでした。「カウンセリングで儲からなくても、俺にはサイドビジネスがある」 そう思えたので、私は仕事を減らす決心がついたのです。

 

私は差し当たって、メールカウンセリングをやめることにしました。
当時、私は、メールカウンセリングだけで、月に10〜15万円の収入を得ていました。
これを一挙にやめるわけですから、月に10万円以上の収入が減るということです。何故、メールカウンセリングをやめることにしたかと言うと、私は私なりに、仕事の優先順位をつけたのです。
1.執筆
2.講演
3.面談カウンセリング
4.メールカウンセリング
何故、この順番かと言うと、上から順番に、下に行くほど、私が人に与える影響が下がっていってしまうからです。

 

執筆は、2時間ほど私が時間を割けば、何千人・何万人の人に影響を与えることができる。講演は、2時間ほど私が時間を割けば、何十人・何百人の人に影響を与えることができる。メールは、面談と違い、私の力の半分しかクライエントに影響を与えることができない。

 

それでメールカウンセリングはやめることにしました。
正に、断腸の思いでした。収入が減ることの不安・クライエントに及ぼす大きな影響と混乱。実際には、「続けて欲しい」という声も多く、結局、やめたのは8月の末になってからでした。
1〜2年程前まで、暇で暇で、どうしようかと悩んでいた自分が、忙しくて忙しくて、どうしようかと悩むようになるなんて 、本当に思いもしませんでした。

 

メールカウンセリングを辞めた私は、ちょっとだけ暇になりました。
でも、それもつかの間、次々と仕事が入り、やはり私は忙しくなっていきました。

 

10月に2回目のカウンセリング初級講座が始まりました。
面白いという噂を聞いた人が列を為し、1回目よりも人が入りました。受講生の数は、即、私の収入に跳ねかえりました。

 

そして、この秋、大きな出来事が私にやってきました。
それは、「スクールカウンセラーをやって欲しい」という依頼が、行政から舞い込んで来たことです。
私は、その話を即座に断りました。
何故かと言いますと、スクールカウンセラーは、臨床心理士の資格を持っていないと、雇ってもらうことはほとんど不可能ですし、それに愛知県の場合は、その資格プラス教員免許も必要ということで、そのハードルは非常に高く、私などが出来るわけないと思っていたからです。
ですから私は、たとえ私が「やります。ぜひやらせてください」と言ったところで、結局、最終的に、依頼者側から断られるだろうなあと考えていました。「学校相談員になら、なれるかもしれない」と思った私ではありますが、それでは、お給料が安過ぎます。
スクールカウンセラーになるのは、私の夢です。けれど、それは、到底叶わぬ夢だと思っていました。
ところが、その担当者の方は、私が断わると、「ぜひ、お時間を作って下さい。お話だけでも聞いて欲しいのです」と食い下がるのです。それで私は、「話だけなら」ということで、会う約束をしました。
行政から、課長と課長補佐の2人の人がやってきました。(その方々は、数年後、小学校の校長先生・中学校の教頭先生になります) お話の内容は、「前いたスクールカウンセラーの方が、急に辞めた。学校側も困っている。正直、竹内先生の、これから赴任されようとしている学校は、非常に荒れている。窓ガラスも生徒に割られるし、火災報知機も鳴らされることが多い。そういう、荒れているというのも、辞められたひとつの原因だったかもしれない。また、そのカウンセラーが、他の教職員の方と、うま連携を取ることが出来なかったというのも、ひとつの原因かもしれない。私たちは、即戦力のカウンセラーを必要としている。学歴や資格は、2の次だと考えている。私たちは、竹内先生の噂はよく聞いているし、こちらでも、いろいろ調べさせてもらった。竹内先生以外、考えられない。竹内先生に、ぜひお願いしたい」という熱い内容でした。
私は、しばし考えました。私は、お話をしていく中で、きっと私自身が断られるだろうと考えていたので、この展開は、正に想定外でした。
すると、その方々は、1枚の書類をカバンから取り出し、机の上に広げました。そこには、契約書と書かれてありました。時給も、驚くほど、高額でした。学校相談員の方の5倍でした。
正直言って、大変驚きましたが、勢いに負けて、直ぐに私は、サインをし、判を押したのです。担当者の方は、本当に嬉しそうでした。手を取り合って喜んでいました。
嘘のような夢のようなドッキリカメラのような展開でしたが、スクールカウンセラー竹内の誕生です。
担当の方が、帰られた後、私は嬉しくて嬉しくて仕方なく、家内に電話しました。「俺、スクールカウンセラーになった。月に2日、学校に行けば、クライエントが来る来ないに限らず、時給5,500円ももらえる」 家内も大変驚いていました。「えっ、どういうこと? いつから、そんな話、進んでいたの?」
スクールカウンセラーとして赴任した早々、私は職員室で、意気込みを語りました。「何でもやります。何でも言って来て下さい。穴の開いた廊下の壁も修理しますし、体育館のモップがけもします。私は、身体を張って、命がけで仕事をしますので、何でも言って来て下さい」 そう、私は、不良生徒と、殴り合いの喧嘩も辞さないという覚悟で、学校に入ったのです。その気持ちは、職員室の先生方に、伝わったことと思います。

 

名古屋からも講演の依頼を受けるようになりました。県外からも講演の依頼を受けるようになりました。それにつれて、クライエントの数もどんどん増えていきました。私は、どんどん忙しくなっていきました。
週に1回は休みたい…、それが私の目標になっていきました。

 

順調に順調に仕事を増やしてきた私に、
2002年が、終わりを継げようとしていました。
本当に充実した1年でした。

 

今年、受けた主な研修(1日限りの研修から1泊2日の研修まで、様々です)
非構造的エンカウンター、精神分析事例検討会、催眠療法、交流分析

 

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